恥ずかしい話 其の2
学生時代よく行った食堂での話です。
普段はメニューを見ることもなく注文をしていたので気づかなかったのですが、ある日ふと食堂の壁面にメニュー札が掛けられているのに気がついた私は、一瞬これは何だ?と思ってしまいました。
そこにはメニュー札と同じもので「おしながき」とひらがなで書かれた札が他の札(全部ひらがな)と同間隔で並んであったのです。次の瞬間、これはどんな料理なのかどうしても知りたくなりました。
その料理を知りたくなった私は、勇気を振り絞って食堂の大将に聞きました。
大将、あの「おしながき」というのはどんな料理?
すると大将は「またまた、なにゆうてんの」と少し笑いながら奥へ行ってしまったのです。
その時点では、私にはそれがどういう意味かわかりませんでした。ただ自分が何か変な質問をしたのかなと言う思いにはなりました。
それから、人にも聞けず悶々と数日が経ち、別の店に入ったときのことです。そこには漢字で「お品書き」と書かれている札があるではありませんか。
あっそうか!「おしながき」・・・・イコール「メニュー」・・・・のことか!とやっと解ったのです。
本当に常識のない恥ずかしい話です。
みなさん。こんな疑問、失敗、経験したことありませんか?
恥ずかしい話 其の1
医療、介護の現場で医師や看護師が使用するゴムまたはナイロン手袋の目的は患者さんに対する衛生的配慮だとずっと思っていました。
ところが、そういう目的も少しはあるかもしれませんが、本当の目的は医師や看護師が患者さんから身を守るための行為だったのですね。
患者の立場からしかものを見ることができなかった私の愚かな考えに恥ずかしい思いをしました。
こんなふうに考えてしまうのは私だけでしょうか?
とんじんち(貪 瞋 痴)
先日、親戚の法事に出席した時のことである。
お坊さんのお経の中から「とんじんち」という言葉が聞こえてきた。
この言葉が妙に印象に残ったので少し調べてみた。
これは仏教の教えで、人間には百八つの煩悩があると言われている。
もうすぐ年末であるが、除夜の鐘を百八つつくのはこの煩悩を退治する
ためだという。
この数ある煩悩の中で「貪りの心」「怒りの心」「愚痴の心」が
人間を一番苦しめる毒薬のようなものであり三毒と呼ばれており、
貪瞋痴(とんじんち)の三毒」とひとまとめにしても言うことが多いそうだ。
注)仏教では怒りのことを瞋(しん)と言う。
★一番目の「貪(むさぼ)りの心」とは、自分の好きなものに執着し、
欲のために心が病気になること。
★二番目の「怒りの心」は、自分の嫌いなものに対して反発したり、
腹を立てたりする心をいう。
怒りの心が、どのぐらい自分自身を苦しめるかは、喧嘩をした時の
不愉快さを思い出してみればよく分かる。
さらに怒りがこり固まって恨みとなると、かなりの重症である。
中東の民族紛争もこの心かも?
★三番目の「愚痴の心」は、「道理をわきまえない愚かな心」を言う。
全てのことを自分の思い通りにしたい、自分だけは年を取らず病気に
ならずいつまでも生きていたい、好きな人とだけお付き合いして嫌い
な人は顔も見たくない、というわがままな心のことである。
私自身もこの三毒に侵された毎日を送っているようです。
一日も早くこの毒が抜けるよう精進努力しなければと思った一日でした。
ブログ初デビュー
はじめまして、時代について行きたくブログ開設しました。
世の中は知らぬことばかり、知らなかったこと、理解できてなかったこと、新しい出来事で印象に残ったことなどを日記に書き留めて行きたいと思います。
私のことは歳を重ねた爺さんということでよろしくお願いいたします。